蔵六ブログ

2023.08.29

印章:刻まれてきた歴史と文化 5.庶民・女性の印

 印章:刻まれてきた歴史と文化

5.庶民・女性の印

前回まで奴国王や戦国大名武田氏らの支配者が用いた印章、高芙蓉や野口小蘋ら文化人 による印章の制作・使用などを紹介し、印章の多様な歴史を垣間見てきた。ただし、誰も が印章を使い、はんこ社会とも呼べる現代日本の印章文化のルーツは、それだけで説明の つくものではない。はんこ社会の前提としては、庶民にまで印章の使用が広がった江戸時 代が重要である。 全国的にみた庶民による印章の使用は、戦国時代終わり頃(1590年代)から始まり、 寛永年間(1624~44)に定着していくと考えられている。 では、甲斐国の場合はどうだろうか?と思い、博物館の収蔵資料を探してみたところ、 最も古いもので寛永2年(1625)の資料を見出すことができた。高畑村(甲府市)の 佐兵衛らが署名の下に押印している。 この資料を皮切りに、庶民が押印した文書は確かに多くなっている。しかし、17世紀 代の資料には、押印以外にも花押や略押(花押を簡略化したもの)、拇印や爪印(指先に朱 や墨をつけて署名に押すもの)など、様々な方法が用いられている。 当時、印章を使うのは家主となる男性だけで、家主以外の男性や女性は印章を持たなか った。これは法的な責任をもつ主体が、家主の男性に限られていたことを示している。家 主の男性が死去して後家の女性が押印を行う場合にも、夫の印章を使ったり、他の方法で 押印に代えたりしていた。 女性による押印の代用方法として注目されるものが「紅判」だ。これは化粧に用いる紅 を指先につけ、署名の下に押したものである。写真は寛文8年(1668)、甲府町年寄を 務める坂田家において、財産相続に関する取り決めを行った文書である。5名の署名があ り、男性2名は花押と印章を使い、おるう・おへま・おせんの女性3名が、署名の下に紅 判を押している。紅判は甲斐国以外ではあまり例をみない、大変珍しい事例と考えられて いる。 ただし、現在確認されている紅判の事例は少なく、使われた時期や地域、使用した女性 の階層など、解明されていない部分も多い。今後、さらなる資料の発見や研究の進展が待 たれる。 江戸時代の庶民による印章の使用は、法的な責任能力を認められた家主の男性に限られ ていた。一方で書類にサイン・押印する機会は、家主以外の人々にも生じており、それは 女性も例外ではなかった。このことが、誰もがはんこを使用する社会の下地になったもの と考えられる。

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