蔵六ブログ
2022.01.26
武田流花押
①模倣や偽筆防止策を施した自署機能ン拡充や形体の美しさばかりでなく、花押を使う人の運気を高める事や生き方の美しさも追及している。
②花押全体に易学を背景とした施術がされている。
運気を逃がさないために、生まれ年の干支による『空穴メド』を創る。
花押を持つ人の生き方を高めるために、花押を構成する線に『八壽線、はちじゅせん』を創定する。
武田流花押は、自署のためのツールであるとともに、一種の『御護り』でもある。
2022.01.16
花押その③
室町時代(戦国時代) 自分の名に関係あるなしを問わず一文字を 選んだ一字体が現れる。また、戦国時代か ら流行るのが、文字とは関係のない線画や 物の形を象った別用体(べつようたい)など花 押の様式が著しく多様化した。同時に、下克 上の厳しい、疑心暗鬼な時代を生き抜く手 段として、模倣や偽作を防ぐためのさまざま な工夫をした花押形体も考案された。 北条早雲 北条氏康 北条時宗 日蓮大聖人 後醍醐天皇 足利義詮 足利尊氏 足利義満 世阿弥 蓮 如 一休宗純 安土桃山時代 各地の大名がそれぞれの思いから京都を目 指した時代。 花押にも各自の思いが強く反映して、非常 に稚拙な形体から複雑な形体まで、千差万 別である。 また、この時代、花押の印章化といって、花 押を版刻したものを墨で押印する花押型も 普及した。 豊臣秀吉 織田信長 伊達政宗 石田三成 明智光秀 千利休 加藤清正 竹中半兵衛 太田道灌 島津義久 江戸時代 太平の世が 360 年ほど続く時代を創った徳 川家康の花押は、安定的な台形をしてい る。これを明朝体という。花押自体は真似の しやすい形体だ。これは、政権が安定すると 模倣や偽筆による不安が、室町時代と比べ ると少ないからだろう。 寛保3(1743)年刊行の『増補印判秘決集』に 168例があり、以後、この中より花押を選んで 自分の花押にしたようだ。花押形体の流れ からすると安易な既製品の花押といえるの かもしれない。 また、印鑑の使用例が増加し、江戸中期頃 からは花押の使用例が少なくなっている。 徳川家康 天海僧正 宮本武蔵 大久保彦左衛門 伊達政宗 井伊直虎 春日局 吉良上野介 浅野内匠頭 大石内蔵助 徳川光圀 柳生宗矩 井伊直弼 明治時代 明治 6(1873)年には、実印のない証書は裁判 上の証拠にならない旨の太政官布告が発せ られた。花押が禁止されたわけではないが、 ほぼ姿を消し、印鑑が取って代わることとな った。後に、押印を要求する文書については 必要に応じて法定され、対象外の文書であ っても押印の有無自体は文書の真正の証明 に関する問題として扱われることに伴って先 の太政官布告は失効した。 なお、日本政府閣議における閣議署名は、 明治以降現在も花押で行うことが慣習となっ ている。閣僚(大臣)は閣議における署名以外 に花押を使うことは少ないが、閣僚就任ととも に花押を用意するケースが多い。そこで、花 押は、天皇陛下から大臣の認証を受けるとき の正装とされる燕尾服と紐付きのエナメルの 黒靴などとともに、大臣に就くときの「三種の 神器」などと、巷間に言われている。 明治天皇 東郷平八郎 伊藤博文 高橋是清 安倍内閣の閣議書 現代人と花押 現在、一般的ではない花押をわざわざ持っ ている人というのは、大臣や防衛省の幕僚、 一流企業の経営者、伝統文化の継承者な ど。社会的地位に在ったり、自分の教養の高 さを誇ったり、それなりの志があってそうして いる”偉い人たち”というイメージである。 だが、パスポートやクレジットカードの署名、 企業での稟議、官公庁での決裁など、意外 にも幅広く用いられている。 旧国鉄時代では駅内文書に駅長の花押が 用いられていたが、JR に移行後の現在で も、旧国鉄出身の一部駅長は花押を以て確 認の証としているという。
2022.01.11
新型コロナ抗原検査キット 在庫処理 6個
新型コロナウイルス抗原検査キットも県が無料配布を始めました。しかし、数量が少なくないようなニユースを聞きました。
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ご活用いただければ幸いです。
2022.01.11
日本のハンコはこんなに面白い
日本のハンコはこんなに面白い!印鑑トリビア
今やCOOL JAPANとして海外での評価も高い日本のハンコ。印鑑の起源や日本で花開いた印鑑文化、ちょっと変わった印鑑などを歴史的観点から紹介しつつ、あの有名な言葉とハンコの意外な関係について、徹底解説します。
ハンコはいったいどこから来たのか?
日本は世界で唯一、印鑑が今も制度として使われている国です。それゆえハンコは日本独自の文化と思われがち。でも実はハンコの発祥の地が古代メソポタミアだった・・・と知っていましたか?
印鑑の誕生~メソポタミア文明~
ハンコの起源は紀元前7千年以上前のメソポタミア文明までさかのぼります。現在のイラクにあたるメソポタミアの地で誕生した印鑑はエジプト、ギリシャを経てローマへ。旧約聖書にも印にまつわる記述が複数出てきており、印鑑はキリスト教と共にヨーロッパに広まります。
アジアへの進出~シルクロードを超えて中国へ~
西洋で発展した印鑑は、シルクロードから中国に伝わります。その後、秦の始皇帝がアジアで最初の「官印制度」という印鑑制度を定めました。権威や地位を誇示する手段として印鑑を使うあたりが、始皇帝らしいとも言えますね。
遠く海を渡って日本へ~日本の印鑑文化の開花~
日本に初めて印鑑が伝わるのは、中国の後漢王朝時代。現存する日本最古の印鑑として有名なあの金印「漢委奴国王」は、漢の皇帝から贈られたものです。
時を経て奈良時代以降になると、日本独自の印鑑文化が発展。私印、つまりプライベートなハンコの誕生によって印鑑のバリエーションが増えて、この頃に芸術的な意味合いを持つようになります。現在の印鑑制度の原型となる「印鑑登録」を制定したのは、明治政府です。ただ、この時代は国民全員が文字を書けるわけではありません。そこで、自筆で署名できない庶民でも、印鑑登録済みの実印さえあれば本人であることを証明できるようになり、一般市民にも印鑑が普及したのです。
日本のハンコの歴史 ~番外編~
日本史から読み解く印鑑・・・というと堅苦しいですが、実はちょっと変わったハンコがあったのは知っていますか?例えば僧侶たちが印鑑を作った時代があったのですが、かの有名な弘法大師の印はまるで抽象画のようなユニークなハンコでした。
出典:『捃印補正』(国文学研究資料館「蔵書印データベース」による)
もう一つご紹介するのが、キリシタン大名の印です。戦国時代は武将たちが権力をアピールするためにこぞって私印を作っていました。キリシタン大名たちも独自のハンコを制作しており、大友宗麟、細川忠興(細川ガラシャの夫)、黒田如水(黒田官兵衛)などの有名武将の印が今も残されています。印章にローマ字やキリスト教の洗礼名を用いるあたり、信仰の深さが伺えますね。
出典:吉川弘文館「国史大辞典」
ハンコが生みの親!?~三行半の誕生秘話~
「あなたとは離婚します!」この状況を「三行半を突き付ける」と言いますが、そのルーツは江戸時代の離縁状にあります。これがハンコと一体どのような関係にあるのか・・・?謎めいた関係をひも解いてみましょう。庶民がハンコを持てるようになったのは、江戸時代です。それまで彼らが使えたのは母印(ぼいん)か、爪先に墨を付けて判を押す爪印(つめいん)のみでした。現代の離婚届にあたる江戸時代の離縁状には、字が書けない人は3本の縦線の後に離縁を証明する爪印を押していました。この爪印が半分の縦線に見えることから、「三本線+半分の線」で三行半と呼ばれるようになったとか。
日本のハンコはCOOL!~今、日本から海外へ~
印鑑がここまで多様化して、生活や文化にまで浸透した国は類を見ません。電子署名や電子契約がスタンダードとなりつつある今でも、日本のハンコは外国人観光客に大人気。来日直後の外国人に突撃インタビューをして、日本での行動に密着取材する某人気テレビ番組がきっかけで、日本の印鑑に魅了されたフランス人青年が「ハンコ王子」と話題にもなりましたよね(※)
日本のハンコは芸術的・文化的価値があると世界に認められています。ドキュサインは、ハンコの電子化や契約業務の改善、プロセスの短縮化などを進めることで、日本のハンコ文化を未来につなげるべく、これからも皆さまを支援して参ります!
2021.11.09
花押の事 その②
■時代の推移と花押
飛鳥・奈良時代 この時代の自署は楷書体で、筆画の省略が ない。仏教の普及のために謹厳な写経が行 われた。
平安時代前期 三筆(空海・嵯峨天皇・橘逸勢)の時代。自 署は楷書体や行書体で書かれている。当時 の最高の知識人たちが知識や知恵と技量 を競い、王義之(おうぎし)の書風を志した。
平安時代中期・後期 三跡(三蹟)の時代。花押の萌芽期といえる。
初期の花押は草名体(そうみょうたい)と呼ば れる。草書で書かれた自署が発達し、二字 が結合されて一字のように工夫される。
後期には花押の発展期に入る。右図の三跡 の花押は二合体の初期で、偏(へん)と旁(つ くり)からなる。 空 海 最 澄 王義之 三 跡 小野道風 藤原佐理 藤原行成 平清盛 西行法師 源頼朝 源義経 弁 慶 鎌倉時代 鎌倉時代以降、武士による文書発給が格段 に増加したことに伴い、武士の花押の用例も 増加した。自署の形式も、源頼朝が「官位・ 官職・姓・名・花押」と、名の下に花押を書い たことが前例となって、これまでの公家様(く げよう)に対して武家様(ぶけよう)という花押の 形状・署記方法が生まれた。
また、中国から 来日した禅僧らが用いた、直線や丸などを 形象化した禅僧様(ぜんそうよう)なども発生。
2021.11.02
花押の事 その①
なぜ、”花”を”押す”と書くのか? 「押」には、「署名する」という意味があり、 花のように美しく署名するので「花押」という。
「押」という字は、「手」の象形(しょうけい)と「亀の甲羅(こうら)」の象形で、 「(亀の甲羅のような物で)覆う」の意味から、手で物を覆って「押さえる」を意味する漢字。 現在、①押す、②押さえる、③書き判、④則(のり=法律、規範)、⑤慣れる、⑥助ける、などの意味がある。
TRIVIA:「押える」と「抑える」の使い分け 押=暴れ馬を押さえる、土地・建物を差し押さえるなどのように「動かないようにする」場合に使う。 抑=物価の上昇を抑える、欲望を理性で抑えるなどのように「下から上がってくるのを止める」場合に使う。
「押印(おういん)」と「捺印(なついん)」の使い分け 押印=「記名押印」が略された呼び名。ゴム印やパソコン等による氏名のところに印判を押すこと。
捺印=「署名捺印」が略された呼び名。本人が自筆で氏名を手書きしたものに、印判を押すこと
2021.10.12
印を愛する日本人こそは幸福な国民である。
■印鑑は、わずかな方寸の中に、世界を含み、生涯の美意識を深めるものは、この『方寸の印材の面』にしか求められないものです。
わずかの方寸の間に、宇宙の大を知り、方寸の小範囲間に人生の真美を知るものは印を置いて他にない。
書と画と篆刻とは,正に人間の真楽といえよう。
篆刻は極めれば芸術の世界にはなるが、実用印は同じ流れであり職人気質にその本質を見る事ができ、現実の生活に印は役に立っている。
印を愛する日本人こそは幸福な国民である。
2021.10.12
ハンコの歴史 文化とは? 官印
■我が国においては、今日でも官印は無上の価値を持っている。〚大日本国璽〛は美しい朱泥で朱く捺され、国家の史上価値をともなっている。
毎年皇居において、春秋の二回の叙勲には〚令和何年何月何日、皇居において璽をおさせる〛と書いて〚大日本国璽〛の大印が朱に捺され、内閣総理大臣と総理府賞勲局長の印が捺されている。
官印は、このように天皇から官僚の一人一人にその責により捺されるものである。そんな文化こそ、日本が誇るものである。
2021.10.12
ハンコの歴史 文化とは? 飛鳥時代に始まった。
■中国から渡来した日本の印章は飛鳥時代に始まった。
昔は印綬を帯ぶとか印綬を解くとかの表現が多く使われた。
印は官の印章、綬はすなわち印の環を受けつなぐくみひものことである。
役人になると、その標に印綬を与えた。
印綬を帯ぶとは役人になったこと、印綬を解くとはその職をやめることだった。ここにエントリー本文を書きます。
2021.10.08
アシストインの印刷部門が動き出しました。皆様からに印刷のご注文お待ちしております。
アシストインの印刷総合カタログをお届けします。
名刺、はがき、封筒、伝票、挨拶状、冊子、ポスター等々 あらゆる印刷物を賜ります。