蔵六ブログ
2022.01.16
花押その③
室町時代(戦国時代) 自分の名に関係あるなしを問わず一文字を 選んだ一字体が現れる。また、戦国時代か ら流行るのが、文字とは関係のない線画や 物の形を象った別用体(べつようたい)など花 押の様式が著しく多様化した。同時に、下克 上の厳しい、疑心暗鬼な時代を生き抜く手 段として、模倣や偽作を防ぐためのさまざま な工夫をした花押形体も考案された。 北条早雲 北条氏康 北条時宗 日蓮大聖人 後醍醐天皇 足利義詮 足利尊氏 足利義満 世阿弥 蓮 如 一休宗純 安土桃山時代 各地の大名がそれぞれの思いから京都を目 指した時代。 花押にも各自の思いが強く反映して、非常 に稚拙な形体から複雑な形体まで、千差万 別である。 また、この時代、花押の印章化といって、花 押を版刻したものを墨で押印する花押型も 普及した。 豊臣秀吉 織田信長 伊達政宗 石田三成 明智光秀 千利休 加藤清正 竹中半兵衛 太田道灌 島津義久 江戸時代 太平の世が 360 年ほど続く時代を創った徳 川家康の花押は、安定的な台形をしてい る。これを明朝体という。花押自体は真似の しやすい形体だ。これは、政権が安定すると 模倣や偽筆による不安が、室町時代と比べ ると少ないからだろう。 寛保3(1743)年刊行の『増補印判秘決集』に 168例があり、以後、この中より花押を選んで 自分の花押にしたようだ。花押形体の流れ からすると安易な既製品の花押といえるの かもしれない。 また、印鑑の使用例が増加し、江戸中期頃 からは花押の使用例が少なくなっている。 徳川家康 天海僧正 宮本武蔵 大久保彦左衛門 伊達政宗 井伊直虎 春日局 吉良上野介 浅野内匠頭 大石内蔵助 徳川光圀 柳生宗矩 井伊直弼 明治時代 明治 6(1873)年には、実印のない証書は裁判 上の証拠にならない旨の太政官布告が発せ られた。花押が禁止されたわけではないが、 ほぼ姿を消し、印鑑が取って代わることとな った。後に、押印を要求する文書については 必要に応じて法定され、対象外の文書であ っても押印の有無自体は文書の真正の証明 に関する問題として扱われることに伴って先 の太政官布告は失効した。 なお、日本政府閣議における閣議署名は、 明治以降現在も花押で行うことが慣習となっ ている。閣僚(大臣)は閣議における署名以外 に花押を使うことは少ないが、閣僚就任ととも に花押を用意するケースが多い。そこで、花 押は、天皇陛下から大臣の認証を受けるとき の正装とされる燕尾服と紐付きのエナメルの 黒靴などとともに、大臣に就くときの「三種の 神器」などと、巷間に言われている。 明治天皇 東郷平八郎 伊藤博文 高橋是清 安倍内閣の閣議書 現代人と花押 現在、一般的ではない花押をわざわざ持っ ている人というのは、大臣や防衛省の幕僚、 一流企業の経営者、伝統文化の継承者な ど。社会的地位に在ったり、自分の教養の高 さを誇ったり、それなりの志があってそうして いる”偉い人たち”というイメージである。 だが、パスポートやクレジットカードの署名、 企業での稟議、官公庁での決裁など、意外 にも幅広く用いられている。 旧国鉄時代では駅内文書に駅長の花押が 用いられていたが、JR に移行後の現在で も、旧国鉄出身の一部駅長は花押を以て確 認の証としているという。