武田流花押・花押印
武田流花押の意義
室町幕府末から江戸時代前までが花押が非常に重要視された時期でありました。
この時代、今の印章と同じく、花押の持ち主だけでなく、一族の生命財産と生活圏までもが花押一つにかかっていた時代でした
そこで他人に真似されないことが重要な点でした。
この安全性を証明するために武田信玄は花押所を命じました。
武田流花押には易経の思想が入り、神仏、先祖を最も重視し、親や先人達を大事にすることを前提に、とりわけ、親から受けた体を大切にする心を培う線、自他との約束を重視する線、所領(収入)、眷属、安定性、という考えを花押自身の中に取り入れ、更に、花押主の願いが叶うように進展していくように配慮を加えて作られるのが武田流花押です。貴方自身の可能性の為にも、人間性豊かな人生を送る為にも、日本の文化に触れる事にもなります。
武田流花押は、文字の決定をし、文字の意味を調べ、書体を選びます。
その後、一子相伝の武田流花押秘伝書による・・・謹考をし、第16代武田流花押宗家、故清水研石先生の伝承者小川先生がが心をこめて作成します。
武田流花押では、鎮座壇、信義線、眷属線、所領線、寿命線、隠密線という、一筆一筆の線に意味と願いが込められています。各部のこれらの線は易経の知恵が取り入れられ、五行、思想や数理による吉数も取り入れられており、宗家の直筆による花押は、一点一画に至るまで均衛と調和がとれ、その筆致には勢いが溢れ、まさに芸術的ともいえる格調高いものです。
和の伝統文化 天が与えた私の使命 武田流花押の第一人者である清水研石先生に花押文化を広める意義について聞いた。
花押はどのようにして確立されたのか。
『701年に制定された大宝律令で、正式な文章に署名することが定められた。この時は楷書体だったが、時代と共に草書体、花押と言われる書体にかわっていった』
花押からどんなことが読み取れるのか。
『その人の性格が読み取れる。例えば、織田信長の花押は大きく横に広がっており、開拓精神が旺盛な事を示している。本人が書状を書いたことを示す証拠にもなるので、政情が安定していた室町や江戸時代は同じような図案が見られる。一方戦国時代は、真似されないように工夫されており、花押の形がその時代を映していると言える』
武田流花押の特徴は。
『江戸時代に広まった江戸版と言われる花押に対し、武田流は一子相伝。特定の場所に穴を開けたり、紙の裏から文字の一部をなぞったり、真似されないための技法が伝わった。易経の考え方も取り入れており、健康や子孫繁栄といった願いを込め、デザインが考えられている』
花押文化を広める意義は。
『花押は日本伝統の素晴らしい文化、かっては政財界のトップは花押をつくり、花押をもっている事に誇りを感じていた。多くの人が花押に関心を持ち、花押を使う事で誇りをもってくれればいい』」
蔵六は、一般社団法人 全日本花押会の総代理店として、
武田流花押の販売と普及活動をしています。
貴方も、武田流花押をお持ちになりませんか。
清水研石先生は、平成30年1月ご逝去されました。
現在は、武田流花押継承者 小川北溟先生が継いでいます。
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