蔵六ブログ
2024.01.09
山梨県
梨県印判用品卸商工業組合
昭和二十一年に結成された山梨県水商業組合は、昭和二十四年に中小企業協同組合法が公布されると、組合は業種の異なる人によって構成されていたので利害がかみ合わず八団体に分かれることになり、この組合は昭和二十四年四月、同業十三社によって新しく結成されたのである。昭和三十二年四月、山梨県印判用品卸商工業協同組合に改組設立されている。昭和二十七年全国印判用品卸商工組合連合会に加入した。
山梨県印判用品卸業組合加盟店
山梨国産商会「七沢斉宮」 柳屋印材店「望月宗一」 遠藤商会「遠藤 連」 望月貢商店「望月 貢」 鈴木屋「鈴木 泰」 望月昭平堂「望月幸平」 甲山商会「藤巻忠雄」 原田昌光堂「原田守一」 大森印材店「大森 秀」 瀬印材店「一瀬緑郎」 富士印材工業「河西正雄」 渡辺正玉堂「渡辺撰次郎」 茂手木印材店「茂手木 勇」 (計十三社)
初代組合長 七沢斉宮
2024.01.04
令和6年 新年あけましておめでとうございますとは思えない日本の現実です。
2024年令和6年の1月1日は北陸地震で新年のお祝いの気持ちも吹っ飛びました。今日は4日亡くなった方も多く、まだ救いださせれない人たちが多くおり気持ちが塞ぎます。
政府は人命第一といいながらも自衛隊の動きづくなくイライラするばかりです。議論なんかする場合でなく、現場に水、食料、トイレ等を届ける事を早くやってほしいばかりです。車もいけない中だったら日本中のヘリコプターをすべて動員すればいいので、総理の一言で動くのと思うばかりです。
また、飛行機の事故も人材に思えます。報道を見た時、坂持九さんを思い出しました。
乗員は無事を届ける事が先でしょうと思いました。このデジタル時代何をしているんだと思いました。
2024.01.04
峡南水晶印章商業
峡南水晶印章商商業組合
昭和十二年一月十五日、すでに設立されていた山梨印章業組合の組織変更にふみきり、峡南水晶印章商商業組合、(理事長遠藤政一)とその名称を変え(この年商業組合法改正となる)商工省と山梨県の補助と指導を得て、峡南水晶印章商商業組合が設立された。昭和十三年二月九日付で商工大臣の認可を得る。
これは印章業界で初めてのものである。
◎認可所の写し
地方庁経由 山梨
商工省指令一二商 一六八九八号
山梨県西八代郡落居村第二百番地
峡南水晶印章商商業組合
設立発起人総代
遠藤政一
昭和十二年拾月拾日附 申請組合設立件認可ス
昭和十三年二月九日
商工大臣 吉野信次 印
事業としては、印材の共同購入。共同作業場の設置。印刻料、販売価格の協定。組合員への資金の貸付、貯金の受け入れなどであり、組合員の活動の便宜を図るのが主目的であり、なお築内の同業者は未加入者であっても組合の統制に服従しなければならず、服従しない場合は商工大臣の統制命令が発せられるという強力なものであった。
昭和十六年には組合の中に販売部が設立され、事業として次のようなことが行われた。
(1)卒業記念品の標準価格の決定(彫刻付)
(2)卒業記念品販売各の協定
(3)印章、印章入りサックの小売協定値段の決定
◎申し合わせ事項
(1)国産品の声価を発揮するため真面目なる営業をなすこと
(2)誇大な広告を為さざること
(3)期日を厳守し良品を販売すること
(4)注文者より請求のありたる場合は直ちに誠意ある回答をなすこと
(5)時間を認識し職域奉公の実を挙げること
◎組合員構成(町村)
岩間村 落居村 楠甫村 宮原村 鴨狩津向村 (六郷町)
久那土村 宮里村 (下部町)
大河内村 (身延町)
増穂町、鰍沢町、八戸尻村 (市川大門町)
豊和村 (鰍沢町)、市川大門町
以上は前の各組合の調査をした中に見出された資料であるが、これらの組合は終戦の混乱により自然消滅の形で消えていった。
2023.12.16
山梨水晶工業組合
山梨水晶工業組合
昭和六年(一九三一)五月に山梨県水晶組合を設立、昭和初年以来世界的不況の影響と、業者の製品の売り崩しがはじまり、水晶業界は深刻な不振に陥った。各組合とも次々と手を打ったが、落日にも似た退勢を立て直すことは難題であった。製品の生産制限をこころみたが、業者(装身具関係)の約六割が休業したという。このような苦境を打開するために、昭和九年十一月、甲府市の取り計らいで、甲府市役所の会議室に、甲府物産商業組合、および峡南地方の水晶販売業者と製造業者の各代表七十余名が集まり、業界の更生対策を協議し、水晶業界の経営改善を期し、相戒め、相扶け共存共栄をもって、国産水晶の声価向上に邁進せんことを期す。という決議を行い、対策事項の実施を申合わせた。
◎対策事項
(1)県下各地「峡南、岳麗、御岳」に販売業者の商業組合を設立すること。設立後は速やかに県連合会を組織し斯業の統制を図ること。
(2)水晶の声価を保持するため標準価格を制定すること。
(3)本県主要物産取締規程を制定し、水晶の声価保持に関する取締りを県に要求すること。
(4)声価維持のため不当の乱売および誇大の広告をなさざること。
右決議する。
決議に基づいて乱売を防ぎ誇大な広告を廃し、水晶の声価向上を図ることになったが、峡南地方の通信販売業を手とする大手六社より、営業の範囲、取引先の関係、価格などの点が、異なっているのにこれを同一の条件のもとで画一的に拘束することは穏当ではないと反対の意見の表明があり、結局各地区別に商業組合を設立し、県連合会を組織することとなった。甲府市と地方業者との同一歩調は不可能とされ、標準価格は実行されず、業界は依然として不況を続ける年代であった。(『水晶宝飾史』)
2023.12.16
山梨水晶工業組合
山梨水晶工業組合
昭和六年(一九三一)五月に山梨県水晶組合を設立、昭和初年以来世界的不況の影響と、業者の製品の売り崩しがはじまり、水晶業界は深刻な不振に陥った。各組合とも次々と手を打ったが、落日にも似た退勢を立て直すことは難題であった。製品の生産制限をこころみたが、業者(装身具関係)の約六割が休業したという。このような苦境を打開するために、昭和九年十一月、甲府市の取り計らいで、甲府市役所の会議室に、甲府物産商業組合、および峡南地方の水晶販売業者と製造業者の各代表七十余名が集まり、業界の更生対策を協議し、水晶業界の経営改善を期し、相戒め、相扶け共存共栄をもって、国産水晶の声価向上に邁進せんことを期す。という決議を行い、対策事項の実施を申合わせた。
◎対策事項
(1)県下各地「峡南、岳麗、御岳」に販売業者の商業組合を設立すること。設立後は速やかに県連合会を組織し斯業の統制を図ること。
(2)水晶の声価を保持するため標準価格を制定すること。
(3)本県主要物産取締規程を制定し、水晶の声価保持に関する取締りを県に要求すること。
(4)声価維持のため不当の乱売および誇大の広告をなさざること。
右決議する。
決議に基づいて乱売を防ぎ誇大な広告を廃し、水晶の声価向上を図ることになったが、峡南地方の通信販売業を手とする大手六社より、営業の範囲、取引先の関係、価格などの点が、異なっているのにこれを同一の条件のもとで画一的に拘束することは穏当ではないと反対の意見の表明があり、結局各地区別に商業組合を設立し、県連合会を組織することとなった。甲府市と地方業者との同一歩調は不可能とされ、標準価格は実行されず、業界は依然として不況を続ける年代であった。(『水晶宝飾史』)
2023.12.05
山梨県印章業
山梨県印章業組合の変遷
明治三十年、甲府市桜町土屋宗幸らによって業界最初の団体「甲府水晶組合」が結成された。
明治三十七年に甲府水晶同業組合は、重要物産組合法により結成されたが、運営方針をめぐり幹部の意見が対立し、明治四十年に実際の運営を見ずに解散した。(『水晶宝飾史』)
大正時代に入って産業組合法の施行により産業組合の設立が盛んに行われるようになり、印章業界人の組合の設立が各地で起こった。
大正六年十一月、甲府水晶篆刻同業組合結成される。
細部については不明である(『水晶宝飾史』)
大正十年八月、甲斐水晶販売同業組合が結成され組合長は長田政五郎で、組合の規約がのこされている。この組合の規定によると組合員は山梨県一円に散在し事務所を岩間村(六郷町)都築屋旅館に置いた。その目的として、販売品の粗製乱造の矯正、篆刻の改善、値段の統一、相互の親睦と国産の隆盛などである。目的達成のために組合員は商業道徳を重んじ販売にかけては競争をさけ、事情によっては山梨県水晶篆刻連合会、峡南印商業組合、峡南印章サック組合等に交渉することもある。と決議されている。
右の三組合は、これ以前に結成されていたと見られるが、設立内容が明らかではなく資料不明である。(『六郷印章誌』)組合員には石類印研磨・篆刻業者を加入している。
なお、「山梨県商工人名録」(大正十二年十月現在)には水晶産業所として次の名が記録されている(『水晶宝飾史』)
◎甲府市
常磐町 甲斐物産商会、柳町 玉泉堂 土屋愛造、桜町 柳沢政吉、桜町 精美堂、八日町 上原勇七、柳町 七沢斉宮、柳町 長田白太郎 柳町 一瀬しずか、常磐町 望月広行、柳町 天野武雄、春日町 小宮山国造 八日町 甲斐水晶工業(合)
◎ 郡部(加工場のようである)
市川大門町 丹波政義、岩間村 篠原正広、岩間村 芙蓉堂、渡辺 武、岩間村 南陽堂、岩間村 士橋水晶店、岩間村 勝平堂 鮎川商店、楠甫村 甲富園 笠井金作
峡南印章業組合
昭和元年(一九二六)八月十八日以前の設立であるが、その設立やその後の経過は不明である。(『六郷町誌』)組合員は峡南の印章関係者と甲府市の水晶印材生産者らである。
2023.11.21
署名と
著名と刻法「落款」
作品が書き上がったら、その余白に作者の名前を入れ、誰が創ったかサインをする。落款とはそのサインのことである。刻法は本文と変わらない。簡単なもので自分の「印」一つを添えるだけのものであり、丁寧なものでは「いつ」「誰のために」「どこで」「どういういきさつで」「誰の詩文を」「自分が書いた」といったようにことこまかに記入する場合もあるが、一般にはサインをして印をつける。時とサイン「署名」と捺印というのが普通である。「そのための約束ごと」
「自著」雅号を書いて印を添えるが尊敬する人に差し上げる作品とか心をこめて書くものなどの場合には雅号にせず姓名を書く。
「雅号」心の糧としている本から取ったり、土地「山・川」や好きな植物などから名をつけたりするペンネームのことである。
この時に添える言葉に注意することがある。
たとえば「如流」という号は水にちなみ、また人生を詠じた語句なので「山人」をつけるのは釣り合いがとれない「如流漁徒」「如流道人」ならピッタリという。
◎雅号の下に付ける語
・山人 仙史 幽人 樵夫 山樵 樵客
・逸士 逸民 逸人 閑人 逸士隠士
・陳人 陳史 外史 散史 散人 虚士
・野人 野史 ?人 道人 居士
・漁師 漁徒 漁釣 漁夫 漁滴 釣人
・雅人 老人 翁 女史
「注意」自作の誌歌の場合、自分の名または雅号の下に書の字を書かないこと
2023.11.04
技能士検定
技能士検定制度定まる
昭和三十四年労働者の能力と地位の向上を図るを目的として、技能検定制度が発足する。(労働省)先駆者の血を受けて印章王国山梨の名声にふさわしく数多くの一級技能士の資格取得者がうまれ印章山梨をささえているのである。平成五年度の取得者を列挙すると(地域別 順不同)次の通りである。 佐野年秀 望月利光 芦沢逸男 相川 勝 佐野弘和 望月高弘 笠井嘉一 渡辺寛 小林成利 赤池辰雄 望月章 小林和生 望月貫一 宮沢広志 斉藤安司 望月富司 小林和雄 上田隆資 大柴儀彦 伊藤寿一 片田宏文 小林成仁 伊藤昭夫 小林喜美仁 望月平 伊藤美智子 若林正利 遅沢祐二 片田克己 (六郷町)
有野忠良 久保元 有野正次 横森省三 太田和子 志村和代 ◎村松徳平 笠井富士男 滝沢金光 赤池東洋一 田中創造 森本徐 田草川恵一 堀内洋 川崎昌宏 (甲府市)
遠藤昭 村松清 豊田勝 立川正仁 ◎立川武次 遠藤清 赤池強 (市川大門町)
小林殻 河西純雄 岩松良典 上田勝章 玉木旭 土橋輝雄 和田和 佐野和人 二宮千草 (下部町)
望月將司 望月明敏 笠井良徳 若林恵仁 (中富町)
赤池清光 望月登 (増穂町) 望月安三 本田晟三 (昭和町)
立川智 (竜王町)
一級印章彫刻技能士検定委員「山梨委嘱」
中央職業能力開発協会 社会法人全国技能士会連合会」より依嘱
◎内藤香名 有野玉章 笠井嘉一 小林 毅
山梨県寅刻技能工の受賞者
昭和五十二年六月十一日 笠井嘉一
全国印章技術大競技大会において「実印の部」金賞
昭和六十年十月十一日 小林成利
現代明光百選に選ばれる
卓越技能章を労働大臣賞受章する
昭和六十一年十月十九日 笠井嘉一
全国印章技術競技大会において「角印の部」金賞
昭和六十三年十月三日 小林和雄
一級技能士全国技能競技会において「グランプリー賞」労働大臣賞受彰する
昭和六十三年十月十六日 笠井政一
全国印章業組合連合会主催の技術競技大会において「篆刻の部」中央職業能力開発協議会会長賞受彰する
平成二年九月二日 立川智
全国印章技術大競技会において「角印の部」特別賞 労働大臣賞受章する
平成二年九月二日 森本 徐
全国印章技術大競技大会において「判下の部」特別賞「熱海市長賞」を受賞する
平成四年十月三日 上田勝章
全日印連技術大競技会において「角印の部」金賞
平成四年十月三日 佐野利秀 上田隆資
全日印連技術大競技会において「篆刻の部」金賞
2023.11.04
技能士検定
技能士検定制度定まる
昭和三十四年労働者の能力と地位の向上を図るを目的として、技能検定制度が発足する。(労働省)先駆者の血を受けて印章王国山梨の名声にふさわしく数多くの一級技能士の資格取得者がうまれ印章山梨をささえているのである。平成五年度の取得者を列挙すると(地域別 順不同)次の通りである。 佐野年秀 望月利光 芦沢逸男 相川 勝 佐野弘和 望月高弘 笠井嘉一 渡辺寛 小林成利 赤池辰雄 望月章 小林和生 望月貫一 宮沢広志 斉藤安司 望月富司 小林和雄 上田隆資 大柴儀彦 伊藤寿一 片田宏文 小林成仁 伊藤昭夫 小林喜美仁 望月平 伊藤美智子 若林正利 遅沢祐二 片田克己 (六郷町)
有野忠良 久保元 有野正次 横森省三 太田和子 志村和代 ◎村松徳平 笠井富士男 滝沢金光 赤池東洋一 田中創造 森本徐 田草川恵一 堀内洋 川崎昌宏 (甲府市)
遠藤昭 村松清 豊田勝 立川正仁 ◎立川武次 遠藤清 赤池強 (市川大門町)
小林殻 河西純雄 岩松良典 上田勝章 玉木旭 土橋輝雄 和田和 佐野和人 二宮千草 (下部町)
望月將司 望月明敏 笠井良徳 若林恵仁 (中富町)
赤池清光 望月登 (増穂町) 望月安三 本田晟三 (昭和町)
立川智 (竜王町)
一級印章彫刻技能士検定委員「山梨委嘱」
中央職業能力開発協会 社会法人全国技能士会連合会」より依嘱
◎内藤香名 有野玉章 笠井嘉一 小林 毅
山梨県寅刻技能工の受賞者
昭和五十二年六月十一日 笠井嘉一
全国印章技術大競技大会において「実印の部」金賞
昭和六十年十月十一日 小林成利
現代明光百選に選ばれる
卓越技能章を労働大臣賞受章する
昭和六十一年十月十九日 笠井嘉一
全国印章技術競技大会において「角印の部」金賞
昭和六十三年十月三日 小林和雄
一級技能士全国技能競技会において「グランプリー賞」労働大臣賞受彰する
昭和六十三年十月十六日 笠井政一
全国印章業組合連合会主催の技術競技大会において「篆刻の部」中央職業能力開発協議会会長賞受彰する
平成二年九月二日 立川智
全国印章技術大競技会において「角印の部」特別賞 労働大臣賞受章する
平成二年九月二日 森本 徐
全国印章技術大競技大会において「判下の部」特別賞「熱海市長賞」を受賞する
平成四年十月三日 上田勝章
全日印連技術大競技会において「角印の部」金賞
平成四年十月三日 佐野利秀 上田隆資
全日印連技術大競技会において「篆刻の部」金賞
2023.10.28
石類の篆刻家
山梨の篆刻家
印章篆刻の伝統を調べると、いろいろな説が見られる。織田時代の細字家は、苗字帯刀の篆刻師である。承応二年(一六五三)に中国より独立禅師が長崎へ渡来して篆刻を伝えたという伝承。延宝五年(一六七七)に中国より心越禅師が来朝して奈良の興福寺に住み篆刻の刀法を伝授した。など篆刻の伝承はさまざま伝えられている。
山梨県の篆刻家は、江戸時代中期の享保、天明(一七二二~八四)ころ、高芙蓉(本名大島孟彪)が有名である。出生は甲府市で、京都に遊学して教養を深め、有名な文人、画人とも親交が深く、画をよくし、特に篆刻かとしては印聖と称された人である。水晶篆刻の創始者ともいわれている。
明治・大正時代にかけて篆刻師、として活躍した有名人は『印章世界』の三井峡江は、「甲州印人伝」として次の十六氏をあげている。
大島芙蓉 安達畴邨 高田緑雲 河西鴨江 芦野楠山 斉藤香雲 山本硯堂 松浦羊言 望月楽天 河西笛州 標 兜谷 内藤香石 小林素峰 氏原小楠 遠藤拝山 鈴木桂洲
これらの篆刻家の弟子の中から優れた篆刻家が多数輩出していったのである。
明治二十七年六月発行の「甲斐繁昌記」による名篆刻師は次の通りである。
甲府市 含章堂 長田宗春 (穴山町一丁目西側)
玉潤堂 土屋松次郎 (八日町一丁目北側)
推金堂 土屋宗幸 (桜町四丁目東側)
金生堂 土屋友次郎 (柳町二丁目西側)
国華堂 山田白峰 (柳町三丁目大神宮前)
耕石堂 山内竹塢 (柳町三丁目西側)
金声堂 藤森奇谿 (常磐町第十銀行東)
岩間村 晶光堂 渡辺素堂
韮崎町 金精堂 新藤喜作
台ヶ原村 小倉屋 細田政造
このほか樋口硯斉、依田東渕の名が挙げられる。いずれも印章王国山梨を育み、生み出した篆刻の名人たちである。
注・一般的に篆刻とは石類、金属類を刻することをいい、彫刻とは木口物を刻することを呼んでいた。