蔵六ブログ

2022.02.17

日本の印章

 わが国に現存する印章の最も古いものは天明四年(一七八四)に筑前(福岡県)の志賀島で発見された「漢倭奴國王」という印文のあるもので、西暦五十七年に中国で作られたものであり、これが使用されたかどうかははっきりしていない。現実に使用された印章は、奈良時代のものが最古ということになる。
奈良時代の前期、孝徳天皇(六四語)の大化の改新で律令国家が成立するが、この時代に中国の制度を取り入れて公文書の行使が開始された。ここで初めて印判(ハンコ)が定められる。文書の効力を確実にするため印の使用が見られるが、印判を作ることは国家の特権であり、私人の印章を作るのは国の許可が必要であった。
『日本書紀』に持統天皇(六九二)に始まり、大宝元年(七〇一)に律令が完成して天使の内印太政官の外印、諸司印、諸国主印の四種がその形状、用法まで制定されたと記されている。これらの印章は、二つの目的があったと考えられている。一つは文章の真を正すこと。一つは律令国家の權威を示すことを目的としたのである。
「印の用たる実に信を取るにあり、公私これによって嫌疑を決す」とある。しかし主たる意味は、権力の象徴であり、印の使用は公私に限られていたことにより、それを推察することができるのである。
天平勝宝八年(七五六)藤原仲麻呂は孝謙天皇より「恵美」の姓を賜り、そのとき特に「恵美家印」を用いることを許されたとしている。それが家印の第一号と思われる。しかし個人の名前を刻した私印(無許可)を捺印した文書もこの時代のものが残っているので、こういう違反者もあり面白いと同書にある。平安時代になると印の使用も広がったようである。と諸文献に見える。
この時代の印は、鍛冶屋に命じて作らせた。つまり鋳造印である。その材質の多くは銅製であった。印の字体は中国の篆書にとらわれず、日本独特の字体が刻まれており、いわゆる「倭(やまと)古天」といわれる字体である。一般の人は印鑑をもつことは許されず、「画指して証をなせ」という条文の通り、字のかけないものは、代筆された文書に直線で食指の長さを記し、かつ関節の所に短い横線を入れたものがその証印の代わりとされた。男性は左指、女性は右指を用いたとある。
平安時代に入ると「手印」手形と呼ばれ、掌(てのひら)に印肉をつけておすことをした。その手形の制度は江戸時代まで使用されている。

2022.02.17

武田流花押の歴史

 

■武田流花押 武田流花押とは 武田信玄から花押所に任じられた小池和泉守胤貞によって、 甲斐武田家一門のために考案され、確立された花押形体である。 明白な発祥(確立)の由緒と、 小池家の一子相伝による四百五十余年の歴史を持っている 花押流派は、現在、武田流花押だけである。 ほかの花押形体と異なるところは・・・模倣や偽筆防止策を施した自署機能の拡充や形体の美しさばかりではなく、 花押を使う人の運気を高めることや生き方の美しさをも追求している。花押全体に易学を背景とした施術がされている。 ・運気を逃さないために、生まれ歳の干支に拠る「空穴(めど)」を創る。 ・花押を持つ人の生き方を高めるために、花押を構成する線に「八壽線(はちじゅせん)」を創定する。 武田流花押は、自署のためのツールであるとともに、一種の「御護り」でもある。 武田流花押の由緒 小池藤五郎基胤博士の考証によれば、武田流花押のルーツは、武田信玄からさかのぼること 四百年、源義家(八幡太郎)、源義綱(賀茂次郎)、源義光(新羅三郎)の三兄弟が育った河内国の 源家の居住地「香炉峰の館」の典雅な公家様(くげよう)にたどり着く。 ちなみに、河内国古市郡壷井(大阪府羽曳野市壷井)を本拠地とする源家は、清和源氏の一 流で「河内源氏」という。一般的に、武士で「源氏」という場合、この河内源氏の系統を指す。 義光の三男義清とその子清光が大治 5(1130)年、常陸国武田郷(茨城県ひたちなか市武田)か ら甲斐国巨摩郡市河荘(山梨県西八代郡市川三郷町)に入り、甲斐源氏の始祖となる。 清光の長男(次男とも)信義は、保延 6(1140)年、13 歳のとき甲斐国巨摩郡武田荘(山梨県韮崎 市神山町)の武田八幡宮で元服し、武田太郎信義と名を改め、同地を本管地とし、甲斐武田氏 の始祖(甲斐武田家の初代)となる。爾来、命脈は四百年の星霜を経て、武田家 16 代当主武田 信玄へと続く。 河内国の「香炉峰の館」を出た源家の花押も、甲斐国を包む富士山・鳳凰三山(ほうおうさんざん)・駒 ヶ岳・八ヶ岳・金峰山(きんぷざん)の雄健な稜線と、北巨摩郡内の遊水地帯の複雑な流れなどが、花 押の線となって加わり、平安朝の高雅な形体も薄らいで複雑な展開を見せていた。 そこで、武田信玄は、信玄暗殺未遂事件を契機に花押所(かおうどころ)を制定し、その主宰を小池 和泉守胤貞に命じた。胤貞は、これまでの花押に、模倣・偽筆防止の秘策と一族郎党と共に生き 抜くために易学に基づく術策を加えて、新形体の花押式「武田流花押」を確立させた。 小池和泉守胤貞公 (武田流花押創始者) 小池和泉守胤貞公の甲斐小池氏は、津金郷(山梨県北杜市須玉町津金を所領した津金氏から分出した諸氏の一つで、小池郷(山梨県 北杜市高根町小池)を本管地とする氏族である。ちなみに、津金氏の出自については、甲斐武田氏と兄弟となる甲斐逸見氏(へみし)の一 族とする説(田富町誌)と、常陸佐竹氏の分流だとする説(甲斐国志)があるが、逸見氏と佐竹氏の始祖はどちらも源三郎義光(新羅三郎)な ので、どちらの説を採っても、大きくは義光流の一族である。 津金氏は、戦国時代には、辺境地域武士団「津金衆」として甲斐国巨摩郡逸見筋(釜無川左岸一帯)と信州へ通じる佐久往還の防衛を 担っていた。同じく辺境地域の防衛にあたっている、巨摩郡武川筋(釜無川右岸一帯)の「武川衆」、巨摩郡北山筋の「御岳衆」、八代郡中 郡筋の「九一色衆」らとともに、甲斐武田氏の統属組織の主力を成していた。 小池氏自体は津金衆の一員だったため、武田氏時代の歴史には表立って出てこない。信玄暗殺未遂事件とそれを契機とした花押所拝 命のとき小池和泉守胤貞の名が登場する。そして、武田家滅亡後は、津金衆の頭目として武田家遺臣らの徳川家康への服属に奔走した。 それによって津金一族の存続が図られるとともに、小池氏自体には、従来の巨摩郡小池郷の本領を安堵されたうえに、巨摩郡河原村(山 梨県中央市臼井阿原)が給された。一族も厚遇され、武蔵(埼玉県)や尾張(愛知県)などへ多くの者が士分として発展している。あるいは、 和泉守胤貞のように帰農した者は、定住先の地域で豪農や庄屋として江戸時代を送っている。 小池和泉守胤貞公の花押エピソード 信玄暗殺容疑を花押が晴らす! 永禄 8(1565) 10 月初旬、信玄の嫡男義信と飯富寅昌(おぶとらまさ)らによる信玄暗殺の企てが発覚した。その連判状に、津金衆(つがね しゅう)の頭目小池和泉守胤貞の名前があった。だが、それは他人の手による署名と花押だった。信玄の尋問に対して胤貞は、自身の花押 に講じている模倣や偽筆防止策を説明し、身の潔白を証明した。これを機に、信玄は花押所を制定し、花押に対する高い見識を持ち、こ れまでも武田信虎や信玄らの花押を謹考している胤貞を統括者とした。また、武田流花押形体を確立させ、それに基づく武田家一門の花 押の調製と管理、武田流花押形体を小池家が一子相伝で伝承していくよう下命した。 ちなみに、この信玄暗殺未遂事件により、嫡子だった義信は幽閉後に自害し、二男は夭逝していて、三男龍宝は視覚機能に障害があり 出家していたため、四男勝頼が実質的に嫡子となり、第 17 代当主として武田家を率いることになった。 信玄の遺志は、第 17 代当主は勝頼の子信勝(信玄の孫)とし、勝頼は信勝が 17 歳になるまで陣代(後見人)を務め、その後は出自である 諏訪家を継承させるというものだった。 だが、織田・徳川連合軍による甲斐侵攻、武田家征伐へと情勢が激変してくるなか、勝頼は当主として動かざるを得なくなり、「武田家 最後の当主」として「武田家滅亡」を迎えることとなる。 小池藤五郎基胤博士 (武田流花押第 15 代伝承者) 山梨県北巨摩郡更科村(韮崎市上ノ山)生まれ。生年明治 28(1895) 1 30 日、没年昭和 57(1982) 11 4 日。享年 87。日本近代 文学の研究者。狂歌人でもあった。山東京伝、曲亭馬琴などの読本を専門とし、『南総里見八犬伝』岩波文庫版の校訂者として知られる。 黄表紙研究者の小池正胤は藤五郎博士の子息。 武田流花押の創始者小池和泉守貞胤の末裔で、武田流花押第15代伝承者。実家は富裕な庄屋の家系で、甲斐国のみならず江戸 の文人との交流がある環境だった。曾祖父にあたる小池伝右衛門富章(号は勝山、文雅園)は国学・漢学に通じ、狂歌師として「白水亭亀 丸」の号を持っていた。小池家には『南総里見八犬伝』が肇輯(じょうしゅう)から初版本が揃っており、近郷唯一の『八犬伝』として親戚・知人や 家来筋の人々にも愛読されたというが、明治 31(1898)年、韮崎市の東側を縫うように流れる塩川の長雨による氾濫で書庫と共に流失してし まったという。 昭和 3(1928)年東京帝国大学文科卒業、東京高等学校教授、東洋大学教授、昭和 28(1953)年「徳川時代大衆文学の主軸である赤本、 黒本、青本の研究」で東洋大文学博士。都留文化大学教授、立正大学教授を歴任後、昭和 49(1974)年定年。東京音楽大学教授。

2022.02.15

ビジネスで使う角印と丸印の違い

 

ビジネスで使う「角印」と「丸印」の違い、説明できますか? ハンコにまつわる豆知識

ビジネスシーンでは、複数の「法人印」が利用されています。例えば、領収書や見積書を発行する際は、法人名などが刻印された「角印」が用いられます。また、利用する場面は少ないものの、「角印」とは異なる役割を果たす法人印として「丸印」が広く知られています。そこで本記事では、「ハンコにまつわる豆知識」として、日常的に目にするものの詳しくは知らない、法人印の種類や効果、利用シーンなどについて解説します。

「法人の認印」としての役割を果たす角印

法人印として最も触れる機会が多いのは、角印ではないでしょうか。角印は、「会社印」や「社判」などとも呼ばれる角形の法人印です。主に請求書や領収書、契約書など、企業名義で発行する文書に押され、確認を行ったことを証明する役割を果たします。

しかし、必ずしも文書の発行や確認を証明する場面で角印が求められるわけではありません。あくまで角印は文書の証明力を担保する1つの手段であり、角印が押されていない請求書や領収書などにも法的な効力は備わります。そうした「文書の発行や確認を証明するために押される」「省略しても文書の効力は失われない」といった特徴は、個人用の認印と共通しています。つまり「法人の認印」の役割を果たすのが角印です。また、角印は通称であり、必ずしも角形が義務付けられているわけではありません。後に解説する丸印と区別を付けるためなど、あくまでも慣習上の目的から、角形という言葉が一般的に用いられています。

「法人の実印」である丸印。角印との違いは?

一方で丸印は、「代表者印」や「会社実印」などとも呼ばれる丸型の法人印です。登録が義務付けられていない角印に対して、丸印は商業登記法20条の規定により、法人設立時に法務局への登録が求められます1)。登録した丸印は、法務局から印鑑証明書を取得するのが可能となるなど、「法人の実印」としての役割を果たします。

個人用の実印が、財産の取引などでしか利用されないのと同様に、丸印の利用シーンも非常に限定的です。そのため、丸印に馴染みのない方も多いかもしれません。

具体的に、丸印は以下のような場面で使用されています。

  • 代表取締役を変更するとき
  • 株券発行するとき
  • 連帯保証契約を締結するとき
  • 企業買収を行うとき
  • 官公庁への入札をするとき

また、金融機関に口座を開設する際にも法人印の届出が求められますが、偽造防止などの観点から丸印とは別の「銀行印」を作成し、届け出るのが一般的とされています。

丸印には、どんな印鑑を選べばよい?

角印には、サイズ・形状の法律規定がないのに対し、丸印は法務局によって定められた規定が存在します。商業登記規則第93項にて、「印鑑の大きさは、辺の長さが一センチメートルの正方形に収まるもの又は辺の長さが三センチメートルの正方形に収まらないものであつてはならない」と記されており(2)、丸印の印影は直径1cm以上3cm未満と定められています。

一方で、印影の形状や刻印内容については規定されていませんが、二重の円の外側に会社名や屋号、内側の円に代表者の役職を刻印するのが一般的です。さらに、商業登記規則第94項には「印鑑は、照合に適するものでなければならない」ともあり、経年などにより印影が変化しやすいハンコは丸印として登録することができません。そのため、シヤチハタやゴム印などは、丸印に適さないとされています。

2022.02.11

判子の素材 印材と言います

 

アカネ

木のぬくもりのある素材です。木の中ではもっとも繊維が詰まっている木であり印材に適しています。(別名:シャムつげともいわれていました)ほとんど東南アジア等で生産されております。手に馴染むやさしい質感でありながら木質は極めて硬く、繊細な彫刻が可能です。

 

本柘植

植物性の印材として、古くから愛用されています。木材の中では密度が高く硬質であり、使用するほどに、艶が出て見た目にも美しい印材です。本柘植は主に日本産で島柘とサツマ柘とに分類され、現在はサツマ柘が主流になっています。柘に比べると黄色っぽく艶があるのが特徴です。

 

黒水牛

大陸の水辺の草原に好んで生息する牛科の動物の角を加工したものです。主にインドやタイに生息しています。粘りのある強さと耐久性は印材としても優れ、黒く艶のある美しさが特徴です。角1本に、印材1本しかとれない貴重品です。賢牢性や朱肉のつきの良さに優れています

 

牛角色

多種多様な色合いと独特な模様が特徴の美しい素材です。世界中に分布する陸牛の角を加工したものです。飴色のような茶色等の色で1本1本色合・模様が違います。(サンプル写真とは色合いが異なります)

 

牛角白

多種多様な色合いと独特な模様が特徴の美しい素材です。世界中に分布する陸牛の角を加工したものです。白材は数も少なく非常に貴重な素材です。

 

象牙 特選品

象牙は、品格、質感、耐久性や耐摩耗性が高く、印材の中では最高の素材といわれています。ワシントン条約で輸入禁止になりましたが、当店の象牙は、現在日本国内で流通しているものと一時的解禁された際の合法的な印材です。芯に遠い特選品です。

 

象牙 高級品

象牙は、品格、質感、耐久性や耐摩耗性が高く、印材の中では最高の素材といわれています。ワシントン条約で輸入禁止になりましたが、当店の象牙は、現在日本国内で流通しているものと一時的解禁された際の合法的な印材です。芯に近い高級品です。象牙の高級品の彫刻は一級彫刻技能士仕上げになります

2022.02.11

落款印とは

 

                              落款印(らっかんいん)は
書や日本画や南画などの作品完成に際し作者がその証明として捺印する印鑑を指します。

その中で「姓名印(氏名印)」のみで押印するときは「姓と名」の印、白文(文字部分を刻し押印時に文字が白く浮き出る印)を押印するのが落款印の基本です。

刻に当たり、印面全体の「篆刻」としての、そして「刻者感覚」としての布字=印面への配字等々の調整のため印稿=印字原稿の最後に「印」、「之印」の文字を追加刻することもあります。

「落款」は、「落成款識(らくせいかんし)」の略で、作品を作成した作家=刻者の署名・押印をあらわし、落款の要所(多くは作品左下部)に押印する「落款印」はその個所への「押印」を指します。

落款印には、主として「白印(白文)」「朱印(朱文)」の二印があり、押印が印一つのときは「白印」「朱印」どちらを押印しても可。
二つ押すときは、「名前」の押印には「白印」を、「雅号」には「朱印」を、白印を上に朱印をその下に2つの落款印を押印します。

落款印素材の多くは中国産の自然石で「印材」と表現されます。
そしてこの「印材」には多くの石種があり、篆刻印材としての基本である品質の程度に加え、実用性、美観的価値、希少性等々によりとても巾広い価格帯を持ちます。

落款印を含み篆刻の印は、中国古字「篆書体」が主として用いられ、そして「篆書体」にはいろいろな基本字形≒字体があります。
趣や刻者、刻の方向により金文なども用いられることがあります。
篆書体のない「ひらがな」「カタカナ」などは刻者のレベルや感性に基づき印面に配字される「篆書体に準じる字形」にて刻されます。

付字 : 作品製作にかかる刻者感性により印面に配置される「文字」のバランス等々をまとめる作業を言い、これら全体を「印稿」と言います。

「かな」や「カタカナ」ではなく漢字であっても字体の中には「篆書体」が存在しない文字もあります。
この場合は刻者感性によりその文字の篆書体に相当する字形が布字され刻されます。

 

2022.01.28

花押その④

 

■花押の種類

江戸中期の故実家、伊藤貞丈(さだたけ)は、自著の『押字考』において、花押を 次の5種類に分類している。後世の研究者もおおむねこの分類を踏襲している。草名体(そうみょうたい、そうなたい) 草書体を崩したもの。 草名体 北条早雲二合体(にごうたい) 二合体 実名二字の部分(偏や旁など)を組み合わせて図案化したもの。一字体(いちじたい) 運 慶 実名のうち一字だけを図案化したもの。 一字体別用体(べつようたい) 伊達政宗 明朝体 文字ではなく、絵などを図案化したもの。 毛利元就明朝体(みんちょうたい) 別様体 上下に平行した横線二本を書き、中間に図案を入れたような形体のもの。 ここでいう「明朝体」とは、文字書体(フォント)ではなく、明王朝の様式という意。 徳川吉宗 【註】 北条早雲=「九朗」の草書体を崩したもの/運慶=「運」のしんにゅうと「慶」の旁を組み合わせたもの/毛利元就=「就」1 字を図案化/ 伊達政宗=セキレイを図案化 五種類の分類の他に「公家様・武家様」と「禅僧様」とに分類する方法もある。 公家様公家様(くげよう) 後鳥羽上皇 平清盛 貴族の花押の様式。 花押は実名(姓名)を自署する代わりのものであるため、 実名の文字を花押化している。武家様(ぶけよう) 豊臣秀吉 武家様 鎌倉時代以降、武士特有の形状と署名方法によるもの。 武田信玄 実名とは無関係ない文字を花押化したり、 実名と花押を併記したりする特徴がある。禅僧様(ぜんそうよう) 一山一寧 鎌倉期に中国から来日した禅僧が用いた様式。 直線や丸などで形象化され、 沢庵宗彭(沢庵禅師) 字というよりも符号に近いものが多い。 禅僧様 【註】 一山一寧=「一・口」は諡号(しごう)の「一山国師」を表す。国を口で略記/沢庵宗彭(たくあんそうほう)=「宗彭」の下の図案は法具の「払子(ほっす)」。タクアン漬けを考案した

 

2022.01.26

花押とは何か?

 ■署名の代わりに使用される記号・符号をいう

■書き判ともいう。簡略な形に変化させた自署。

■文書の末尾などに書く署名の一種。

■書き判とも、署名の一種。古くは文書の署名は楷書による自署であったが、名を草書にくずして形様化した草名(そうみょう)によるものが生じ、平安初期ごろ以降より一層形様化した一種。のきごうによるものが用いられた・これを花押という。

■記号もしくは符号風の自署で、判ハン、書き判、版形(はんぎょう)、押字(おうじ)などともいった。

■自署に代わりに書く記号‣印判と区別して書き判ともいう。

■古文書で、自分が発給したものであることを証明するために書く記号。

2022.01.26

武田流花押

 武田流花押とは
武田信玄が花押所に任じられた小池和泉守胤貞によって、甲斐武田家一門の為に考案され、確率された花押形体である。
明白な発祥の由緒と、小池家の一子相伝による四百五十余年の歴史を持っている。
花押流派は、現在、武田流花押だけである。

他の花押形体と異なるところは・・・

①模倣や偽筆防止策を施した自署機能ン拡充や形体の美しさばかりでなく、花押を使う人の運気を高める事や生き方の美しさも追及している。

②花押全体に易学を背景とした施術がされている。

運気を逃がさないために、生まれ年の干支による『空穴メド』を創る。

花押を持つ人の生き方を高めるために、花押を構成する線に『八壽線、はちじゅせん』を創定する。

武田流花押は、自署のためのツールであるとともに、一種の『御護り』でもある。

2022.01.16

花押その③

 

 室町時代(戦国時代) 自分の名に関係あるなしを問わず一文字を 選んだ一字体が現れる。また、戦国時代か ら流行るのが、文字とは関係のない線画や 物の形を象った別用体(べつようたい)など花 押の様式が著しく多様化した。同時に、下克 上の厳しい、疑心暗鬼な時代を生き抜く手 段として、模倣や偽作を防ぐためのさまざま な工夫をした花押形体も考案された。 北条早雲 北条氏康 北条時宗 日蓮大聖人 後醍醐天皇 足利義詮 足利尊氏 足利義満 世阿弥 蓮 如 一休宗純 安土桃山時代 各地の大名がそれぞれの思いから京都を目 指した時代。 花押にも各自の思いが強く反映して、非常 に稚拙な形体から複雑な形体まで、千差万 別である。 また、この時代、花押の印章化といって、花 押を版刻したものを墨で押印する花押型も 普及した。 豊臣秀吉 織田信長 伊達政宗 石田三成 明智光秀 千利休 加藤清正 竹中半兵衛 太田道灌 島津義久 江戸時代 太平の世が 360 年ほど続く時代を創った徳 川家康の花押は、安定的な台形をしてい る。これを明朝体という。花押自体は真似の しやすい形体だ。これは、政権が安定すると 模倣や偽筆による不安が、室町時代と比べ ると少ないからだろう。 寛保3(1743)年刊行の『増補印判秘決集』に 168例があり、以後、この中より花押を選んで 自分の花押にしたようだ。花押形体の流れ からすると安易な既製品の花押といえるの かもしれない。 また、印鑑の使用例が増加し、江戸中期頃 からは花押の使用例が少なくなっている。 徳川家康 天海僧正 宮本武蔵 大久保彦左衛門 伊達政宗 井伊直虎 春日局 吉良上野介 浅野内匠頭 大石内蔵助 徳川光圀 柳生宗矩 井伊直弼 明治時代 明治 6(1873)年には、実印のない証書は裁判 上の証拠にならない旨の太政官布告が発せ られた。花押が禁止されたわけではないが、 ほぼ姿を消し、印鑑が取って代わることとな った。後に、押印を要求する文書については 必要に応じて法定され、対象外の文書であ っても押印の有無自体は文書の真正の証明 に関する問題として扱われることに伴って先 の太政官布告は失効した。 なお、日本政府閣議における閣議署名は、 明治以降現在も花押で行うことが慣習となっ ている。閣僚(大臣)は閣議における署名以外 に花押を使うことは少ないが、閣僚就任ととも に花押を用意するケースが多い。そこで、花 押は、天皇陛下から大臣の認証を受けるとき の正装とされる燕尾服と紐付きのエナメルの 黒靴などとともに、大臣に就くときの「三種の 神器」などと、巷間に言われている。 明治天皇 東郷平八郎 伊藤博文 高橋是清 安倍内閣の閣議書 現代人と花押 現在、一般的ではない花押をわざわざ持っ ている人というのは、大臣や防衛省の幕僚、 一流企業の経営者、伝統文化の継承者な ど。社会的地位に在ったり、自分の教養の高 さを誇ったり、それなりの志があってそうして いる偉い人たちというイメージである。 だが、パスポートやクレジットカードの署名、 企業での稟議、官公庁での決裁など、意外 にも幅広く用いられている。 旧国鉄時代では駅内文書に駅長の花押が 用いられていたが、JR に移行後の現在で も、旧国鉄出身の一部駅長は花押を以て確 認の証としているという。

2022.01.11

新型コロナ抗原検査キット 在庫処理 6個

 新型コロナウイルス抗原検査キットも県が無料配布を始めました。しかし、数量が少なくないようなニユースを聞きました。

アシストインでは、在庫処理のため6個を激安価格にて放出いたします。

ご活用いただければ幸いです。

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